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水戸地方裁判所 昭和35年(ワ)49号 判決

原告 藤田耕造

被告 株式会社日立製作所

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一  原告

1  原告が被告に対して雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二、当事者の主張

一  請求の原因

1  被告会社は肩書地に本社を有し、電気機械器具の製造および販売等を目的とするもので、日立市に日立工場を有するほか、各地に工場、営業所等を有する株式会社であり、原告は昭和二二年四月被告会社日立工場に雇傭され、その後日立工場労働組合に加入し、工員として今日にいたつたものである。

2  被告会社は昭和三四年一二月一〇日原告に対し、被告会社日立工場就業規則第四八条第一項第六号にもとづき懲戒解雇の意思表示をした。

3  しかしながら、みぎ懲戒解雇の意思表示はつぎの理由により無効である。

(1) 本件懲戒解雇は不当労働行為である。

原告は昭和二二年四月日立工場労働組合に加入し、以来自主的な労働組合の団結により、職場の労働者特に臨時工の生活向上のため地道な活動を続けてきた。すなわち、原告は昭和三三年組合制御器班職場委員を勤め、また組合機関紙「たたかい」の通信員を勤めた。そして、主任、組長、棒心らの職制の圧力を排除して昭和三四年一月および同年七月の組合評議員の選挙に際し、組長鈴木勝美の対立候補者として立候補した。さらに原告は昭和二六年四月から昭和二九年三月までの間、被告会社と独身寮である東雲寮に居住し寮生会の副委員長となつて活溌な自治活動を推進し、『人生手帳』の読者の集りである『緑の会』等を組織して組合活動を行ない、また昭和三〇年五月には居住地である茨城県常陸太田市町屋町に会員六〇名を擁する青年会を結成しその会長となつた。他方原告は昭和三四年前後から、うたごえ運動、原水爆禁止運動、安保条約改定阻止運動に取組みその中心的役割を演じた。以上のように原告は、労働者に対し、低賃金ならびに労働強化を強いる反憲法的労務管理の厳しい被告会社から労働者を解き放ち、労働者としての自由にして自主的な判断力を高め、組合を民主的な存在に変えていくために努力したのであるが、このような原告の組合活動は多くの労働者の支持を受け、本工、臨時工の中に原告と同様の考えの者が輩出した。

被告会社は原告の行なつた前記組合活動を、日立工場総務部勤務第一課保安係のスパイ的手段により探知し、原告を企業外に放逐する意図のもとに本件解雇におよんだものであり、その行為は憲法第二八条労働組合法第七条第一号に違反し、その結果民法第九〇条に該当しその効力を生じない。

(2) 本件解雇は、原告が日本民主青年同盟に加入し、サークル活動、政治運動等民主的諸活動を行なつたことを嫌悪し、同人を企業外に放逐することを真の動機として行われたものである。すなわち、原告は日本民主青年同盟の一員として前述のように『緑の会』、コーラス等の中心となつてサークル活動を行ない、日本のうたごえ運動その他政治活動を行なつてきたのであるが、このような原告の思想や諸活動を嫌悪して行なつた本件懲戒解雇は、憲法第一九条第二一条労働基準法第三条に違反し、その結果民法第九〇条に該当する無効なものといわなければならない。

4  よつて、原告が被告に対して雇傭契約上の権利を有することの確認を求める。

二  答弁および反論

1  請求の原因第1項のうち、被告会社が原告主張のような目的を有し、原告主張のとおり本社、工場および営業所を有する株式会社であること、および原告が被告会社日立工場に雇傭され、日立工場労働組合に加入していたことは認めるが、現在被告会社の従業員であるとの点は否認する。なお原告と被告会社との間に雇傭契約が締結されたのは昭和二五年四月である。

同第2項は認める。

同第3項はすべて否認する。

2  被告会社が原告を解雇したのは、昭和三四年一二月三日、被告会社がかねて関西電力株式会社大阪発電所および姫路発電所に納入した制御器部品の交換作業のため、原告に対し同月四日から八日まで出張を命じたところ、正当な理由なくしてみぎの命令に従わなかつたという事実につき、就業規則第四八条第一項第六号を適用したものである。

(イ) 修理作業決定までの経過

被告会社がさきに関西電力株式会社大阪発電所および姫路発電所に納入した電気集塵用タイムリレーにつき、昭和三四年一〇月同会社から点検調査の依頼を受けたので、技術員を派遣して点検した結果、モーターに連らなるヘリカルギヤの摩耗が甚だしいためその噛み合わせが完全でないことが判明した。そこでヘリカルギヤの製作を担当した被告会社日立工場の設計課、検査課および製作課が協議した結果、みぎの不具合は、材質選択上のミスであるとの結論に達し、ギヤをすべて合成樹脂製のスーパーギヤと交換することになつた。そして同年一一月半ば頃、製作課器具係主任小林森はギヤの交換作業を同年一二月五日から七日頃までの間に実施すべく見当を付け、同年一一月二六日被告会社はその大阪営業所を通じて前記発電所に都合を質したところ、みぎの日程を諒承する旨の回答を得た。そこで設計課は、早速出張員派遣に関する改造仕様書を大滝製作課長経由小林森主任宛に発行した。

(ロ) 出張員の決定

小林主任は、タイムリレーは一個につき五ないし六キログラムの重量であり、その改造作業は二人以上の作業員を必要とするが、その製作を担当した制御器製作課器具係第三組立組から二名を割くことは、当時同組が抱えていた仕事にかんがみ困難と考え器具の組立を担当していた同係第四組立組の作業員から補助作業員を人選することを決め、第三組立組長の佐藤勝美と相談した上、第三組立組から千葉敏雄を選び、補助者として第四組立組から原告を出張させることに決めた。ところで、原告を選んだ根拠は、原告が日立工業専修学校を卒えて既に九年を経過しているのに、小林主任のもとに配属されて以来一〇カ月の間、僅か二回出張させただけなので、この際、出張させて逐次応用面および他の機器との関連状況に通じさせようとの配慮から原告を補助者として選んだものである。

(ハ) 出張命令の下命とその後の状況

小林主任は、昭和三四年一二月三日朝、第四組立組の山田組長が不在だつたので直接原告に対し、前記タイムリレーの修理の概要を説明し、千葉敏雄とともに出張するよう告げ、その都合を尋ねたところ、同人はこれに応じたので、庶務担当者に命じて出張旅費前渡の手続をとらせ、原告は、該手続用紙の所要箇所に押印し旅費金八、〇〇〇円の仮払を受け、前記千葉とともに出張準備を整え、小林主任の決定に従い同月四日午前六時四四分日立発の汽車で出発することとなつた。

ところが原告は同月三日午後九時頃千葉敏雄宅を訪れ、同人が不在だつたのでその妻に対し『兄が交通事故に遭つたから直ぐ来い、との電報が来たので東京に行かなければならなくなつた。そのため、千葉と一緒に行く筈であつたが行けなくなつた。よろしく伝えてほしい。』旨告げて帰つた。同夜妻からの報告を受けた千葉は、翌四日朝五時家を出て佐藤組長宅を訪ね原告からの伝言を伝えた上、同組長の指示により荷物を携帯して同日午前七時一七分発の汽車で先行した。同日出勤した小林主任は佐藤組長から以上の経緯につき報告を受けたが、前記ヘリカルギヤの不具合のことは本来被告会社の責に帰せらるべき事故であり、かつ修理の日程についても既に株式会社関西電力の諒解を得ているため、この日程のもとに修理が完成しない場合は顧客である同会社に二重の迷惑をかける結果となり、信用上も由々しい問題となることを慮り第三組立組からさらに手塚寿美、黒田義明の両名を割き後発させることを決め、両名は四日夜出発した。かくして以上三名の出張作業員は、同年一二月五、六の両日大阪発電所の修理作業を、同月七日姫路発電所の修理作業を完了した。

(ニ) 原告が出勤後、職制等に対して執つた態度

原告は同年一二月七日出勤し、山田組長に対して『兄が怪我したので出張に行けなくて済まなかつた。無断欠勤の四日と五日を年次有給休暇に振替えてくれ。』と言い、また小林主任の『事故はどうだつたのか。』との問に対して、原告は何ら具体的な説明をしなかつた。さらに、大滝課長から出張に行かなかつた理由を問われたのに対し、原告は『練馬の大工をしている兄が交通事故に遭い、電報と電話で連絡してきたので上京した。』と答え、交通事故の模様、程度、状況等を尋ねられたのに対し原告はそれ以上具体的な事情の説明はしなかつた。そして大滝課長から電報の提示を求められたのに対し、原告は電報は紛失した旨答えてその求めに応じなかつた。ここにおいて同課長は、原告は間違いなく虚構の報告をしていると考え、同人に対し『それでは仕方がない。会社は別に事情を調査して処分を考えるよりほかない。』と告げたところ、原告は『年休は従業員の正当な権利だ。課長がそのように考えるならば、自分の昇給や賞与、第二加給が低いのはどういうわけか、直ぐこの場で説明してくれ。』などと何ら関係のないことがらについて課長を詰問する状態であつたので、大滝課長は「年休は認めるわけにはいかない。質問事項の詳細はあとで調査して説明する。」と答え、増産対策会議出席のため話を打切つた。

(ホ) 原告の出張不参に関する勤労第一課保安係の事情聴取

日立工場の従業員について、就業規則による懲戒処分関係の事情調査および処分の起案は日立工場の海岸工場勤労第一課保安係が担当しているが、達保安係主任および同係の根本組長は大滝課長からの連絡により調査を開始し、まず同年一二月八日大滝課長からそれ迄の事情を聴取するとともに、原告からも事情を聴いた。すなわち、まず出張不参の理由を質したところ、原告は『私事であるから言いたくない。』というだけで具体的理由は全く述べなかつた。そこでみぎの理由を書面に記載して提出することを求めたが、その提出した書面には『同僚に連絡しただけで、職制の許可を得ないまま出張に行かなかつたのは悪かつた。』旨表示するだけで、理由の実体には一切触れず、単なる手続上の問題としてしか考えないという態度を示すだけで、出張拒否そのものについての反省は全く見られなかつた。同月九日前記保安係員が再度原告に対し急に出張拒否を決めた理由を問うたところ、原告は漸く交通事故を否定し、行方不明の兄が気に懸つていたため、日本うたごえ大会全国祭に参加するため、結婚のことで上京中の母と相談したかつたため、等の理由を述べるにいたつた。しかし以上のことがらは原告が出張受命当時わかつていたことで出張命令を受けながら然も急遽出張しなかつた理由とはならないので、釈明を求めたが、原告は、種々の事情で気持が変つたと、要領をえないことをいうだけであり、さらに上京中の日程や乗車時刻等の質問に対しては言明を拒否し、誠意は認められなかつた。

(ヘ) 原告に対する懲戒解雇処分の発令

被告会社としては、以上の調査結果にもとずき、納入機械の部品の交換修理という被告会社の対外信用維持の上で非常に重要な任務を遂行するための出張命令を受け、一旦準備をすませながら出張せず、その後二日間欠勤し、そのため被告会社に重大な迷惑をかけたばかりでなく、出張不参の理由について虚偽の陳述をし、虚偽が隠し抑せなくなるとそれが虚構であることを認めながら然も数回にわたつて理由の開陳を頑強に拒否し、一片の誠意さえも示さなかつたことは、明らかに就業規則第四八条第一項第六号に該当し、かつ極めて悪質であり、情状酌量の余地が全くないと判断した。そして同年一二月一〇日被告会社は原告を懲戒解雇処分にすることを決定したものである。

三  被告の主張に対する原告の応答ないし反駁

1  被告主張の第2項について

冒頭の事実のうち、原告が昭和三四年一二月三日訴外千葉敏雄とともに、制御器部品の交換作業のため、同月四日から八日まで関西出張を命ぜられ、原告がこの命令を承けて必要な部品用具を取揃える等翌四日午前六時四四分発の汽車で日立市を出発するための準備を整えたこと、原告が同月三日午後九時頃出張に行けなくなつたことを連絡するため、前記千葉敏雄宅を訪ねたところ同人が不在だつたので、同人の妻に対し伝言を依頼したこと、原告が前記の出張に参加せず、同月四日および五日の両日欠勤したことは認める。

2  原告は出張命令を拒否したものではなく、出張命令を承諾した上、出張に行けない事情が生じたため、その旨を被告会社に連絡すべく手を尽くした上で、出張に行かなかつたのである。したがつて『故なく業務に関する上長の指示に従わなかつた』場合には該当しない。

(イ) 原告は昭和四三年一二月三日日立工場制御器製作課の小林主任から被告主張のようなギヤの交換修理のため出張を命ぜられてこれを受諾し、千葉敏雄らとともに出張のための準備を整えた。

(ロ) その後、原告にとつて出張に行くことができない已むを得ない事情が生じた。

原告は日立工場において、本工のみならず、被告会社の苛酷な労働強化、低賃金政策のなかで何ら身分の保障もなくかつ本工との間の差別待遇に苦しんでいる臨時工とともにうたごえ活動に取組んできた。そして昭和三四年一二月四、五、六の三日間東京都において、電機産業の労働者一、二〇〇名を結集して行われる日本のうたごえ全国大会は、原告らにとつて重要な意義を有するものであり、原告は日立製作所のうたごえの仲間の代表として臨時工らとともに参加することを予定していた。このときたまたま出張命令が出されたのである。そこで原告は該命令を承諾したのち自宅に帰り、うたごえ参加予定者を集め代表として原告の代替者を送ることを相談したが、臨時工は今回の計画は原告が中心となつてたてたものであり、原告が参加しなければ電機労連の仲間と交流ができないとして突上げられた。かくして原告は翻意し、代表となつて参加することを決意した。すなわち、出張の問題は連絡をとつて解決できるのに対し、うたごえ参加のことは代替が不能であり、しかも長年努力の結果臨時工とともに全日本電機機器労働組合連合会(以下電機労連という。)の同志と交流することができる状態となつたのに、原告が参加しないときはそれが不能に帰するという状況のもとに、原告は参加を決意したのである。

(ハ) そこで原告は、出張について直接原告を指揮する立場にある千葉敏雄に連絡をとり、千葉を通じて出張事務を取決めた佐藤組長に連絡をとつてもらうべく、千葉宅を訪ね、同人が不在のため妻に対し「兄が交通事故に遭つたので東京に行かなければならなくなり、出張には行けないことになつた。二、三日休むので職場の方もよろしく頼む。佐藤組長にも千葉から連絡をとつてよろしくやつてほしい。」旨の伝言を依頼した。

本件ギヤの交換修理作業は、第三組立組の佐藤組長や千葉組員の専門とする仕事であり、原告の所属する第四組立組では取扱わないものであつたから、原告は千葉の補助者としての立場で出張することになつており、出張にあたり、部品の準備その他の取纒めを行なつたのは佐藤組長や千葉であつて、したがつて原告が出張不能となつた場合、出張員の能力と仕事の内容を比較し原告に代わるべき人員を事実上選定するについては、みぎの両名が最も適任者であつた。原告は佐藤組長の自宅は不案内であつたので、出張作業についての直接の責任者である千葉に連絡をとつたのである。また連絡の内容である原告の出張不参の理由について、公然日本のうたごえ全国大会への参加を表明することは事実上不可能であつた。さらに出張作業は昭和三四年一二月五日開始の予定であつたから、原告の連絡を受けたのちに代替出張員を選出、派遣することは被告会社の規模からいつて充分可能なことであり、事実出張作業には何ら支障を来さず、被告会社の顧客に対する信用が毀損されることはなかつたのである。

(ニ) 昭和三四年一二月七日出勤後の原告の言動について非難されるべきものは何一つ存在しなかつた。

原告は昭和三四年一二月七日出勤し、山田組長、小林主任および大滝課長に対し、出張不参につき謝罪した。これに対し、大滝課長は、「東京の何処にいて何をやつていたか、誰と行動したか。」等と質問した上、「原告の問題は懲戒に価する。勤労で十分調べて処分するが、ほかに何かいうことはないか。」と告げたので、原告は、昇給、賞与、第二加給につき自分を差別して査定した理由および自分を四年間に一度も出張させなかつた事情につき調査するよう依頼した。その後原告は勤労課のもとめに応じて詫状を提出し、また勤労課から出張不参の理由を具体的に聴かれたので日本のうたごえ全国大会に参加した事実を明らかにしたのである。以上のように原告は出張不参につき反省し、上司に対し謝まつたのである。

3  原告が出張に参加しなかつたことが、かりに懲戒処分の責を免れないとしても、原告に対する前掲の懲戒解雇は、就業規則の定める懲戒条項の適用を誤まつた無効の処分である。

懲戒解雇は、他の懲戒処分と異なり、労働者に対し反省の機会を与えることなく最終的に企業から追放する行為であつて労働者にとつて死活の問題であるばかりでなく、事実上労働市場から追放され、半ば慢性的な失業状態に陥るよりほかないのである。故に懲戒解雇は、第一に他の懲戒処分をもつてしては反省の可能性が全くなく、第二に本人を企業内におくことが企業秩序に重大、明白な危険を現実に招来する場合でなければならない。したがつて就業規則第四八条第一項第六号にいわゆる「故なく業務に関する上長の指示に従わなかつたとき」とは、積極的に業務命令を拒否したり、反抗した場合と解すべきである。また右規定の内容は、他の懲戒条項との権衡上、その構成要件の実質を客観的に検討した上で始めて確定できるものである。すなわち、刑法上の犯罪に該当する行為など客観的にみて著しく反社会性が強く労資の信頼関係を断絶するに足りるものか、あるいは無断欠勤が一四日以上におよぶといつたような継続的な義務違反の場合等に限られているところから考えて、前述の「故なく業務に関する上長の指示に従わなかつたとき」とは、みぎと同じ程度に不法性の強い場合でなければならない。

ところで原告は、出張命令を受諾し、命令に従つて一旦準備を整えたのち、自己の已むを得ない都合により出張できなくなつたものであつて、かりに出張不参の連絡手続が被告が主張するように不完全なものであつたとしても、原告の以上の所為は自己の都合により無断欠勤した場合と全く同質である。けだし、両者ともに労働力を売却した労働者が一定期間買主に対し無断で労働力を提供しなかつたということに尽きるからである。この場合は就業規則第四七条第一項第一号により処分するほかはない。

4  原告の出張不参の事実が、かりに被告が主張するように、故なく業務に関する上長の指示に従わなかつた場合に該当するとの見解をとつたとしても、原告が被告会社に勤続した一三年間における実績およびこの間何等の処分も受けたことがないことを斟酌し、かつ被告会社の従業員に対する従来の懲戒処分例(懲戒解雇処分の前例としては、会社製品の持出、会社内での傷害、婦女暴行等があり、さらに昭和三四、五年頃戸田某が出張期間満了後無届のまま帰社しなかつたという事例を三回繰返してはじめて懲戒解雇に処せられた例がある。なお出張命令に反したことを理由とする懲戒解雇の前例はない。)に照らして考えれば、情状を酌量して処分を軽減し出勤停止または過怠金に処すべき事案であることは明らかであり、したがつて本件懲戒解雇処分は就業規則の解釈適用を誤まり懲戒権を濫用したものであつて無効たるを免れない。

5  原告に対する本件懲戒解雇は、手続上も重大な違法をおかしているから無効である。

(イ) 被告会社が原告を懲戒解雇に処する場合は、被告会社と原告の所属する労働組合との間に締結された労働協約にもとづかなければならないところ、被告会社日立工場の就業規則にもとづいて行われた違法が存する。労働協約によれば、被告会社が組合員である従業員を懲戒できるのは、懲戒につき定める第二二条ないし第二四条によらなければならないのであるが、就業規則の懲戒に関する規定とは異なる内容を定めている。このように労働協約と就業規則が懲戒につき異なつた内容を規定する場合は、就業規則の適用を排除して高次の法規範である労働協約を適用すべきであり、労働協約に反する就業規則は無効と解すべきである。従つて組合員である原告は、労働協約の定める懲戒事由に該当する場合において労働協約の定める手続を経た上始めて懲戒を受ける筋合であるから、就業規則を適用して行なつた本件懲戒解雇はその効力を生じない。

(ロ) 労働協約第二二条第四項によれば、被告会社は組合員を懲戒解雇に処する場合は、予め組合に通知すべきこととなつている。この規定の趣旨は、従業員に反省の機会を与えることなく同人を企業外に放逐する懲戒解雇は、労働者にとつていわば死刑に等しい苛酷な処分であるから、予め組合にその旨を通知し、組合において当該組合員に対する懲戒解雇が果して公正(協約第一一条参照)、妥当なものかどうかを検討し、意見があれば被告会社に対し団体交渉その他申入をなし、当該懲戒処分が公正妥当に行われることを担保するための規定であると解すべきである。従つてみぎの通知は、組合が当該処分を十分検討し公正妥当なものかどうかにつき結論を得るに足りる内容をもち、かつ時間的余裕をおいて行われなければならないところ、原告に対する本件解雇につき、被告が組合に通知をしたのは昭和三四年一二月一〇日であり、原告に対する解雇の発令通知と同時であるばかりでなく、通知の内容も解雇の理由として単に就業規則第四八条第一項第六号を記載するだけで、具体的事実を摘示していない。以上のように、本件解雇は労働協約第二二条第四項の定める手続を欠き無効というほかはない。

四  原告の主張に対する被告の応答

原告主張の第5項の事実につき、つぎのとおり応答する。

(イ)の点について

本件懲戒解雇をするについて適用した就業規則の定める解雇基準条項は第四八条第一項第六号であるが、労働協約の第二四条第一項第六号はこれと全く同じ内容を規定している。このことは、被告会社の行なう懲戒解雇が、労働協約と就業規則の双方により二重に拘束を受けていることを意味するにすぎないのであつて、就業規則の前記解雇基準条項が有効な規定であることは明白である。

(ロ)の点について

労働協約第二二条第四項の規定内容が、原告の主張するとおりであることは認めるが、該規定の趣旨に関する原告の見解は争う。その趣旨は被告会社および組合における事後の処理を円滑に行うための手続を定めたものであつて、通知の方法、内容については具体的に規定していない。ところで被告は昭和三四年一二月一〇日本件懲戒解雇処分を原告に通告する以前の同日午後二時四五分頃労働組合に通知し、その通知には本件懲戒解雇につき適用した就業規則の解雇基準条項を示しているのであるから、前記労働協約の定めに違反していない。のみならず労働組合の城地書記長は懲戒解雇を原告に通知する二日前の昭和三四年一二月八日原告が懲戒処分を免れないことを、さらに翌九日最高罰の懲戒も免れない事態になつていることを知つていたのであるから、前記手続違反の問題を生ずる余地はない。

証拠〈省略〉

理由

一  被告会社が電気機械器具の製造および販売を目的とする株式会社であり、肩書地に本社を、茨城県日立市に日立工場を有するほか、各地に工場、営業所を有していること、原告が被告会社日立工場に雇傭され、日立工場労働組合に加入していたこと、および被告会社が昭和三四年一二月一〇日原告に対し、日立工場就業規則第四八条第一項第六号にもとづき懲戒解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

二  原告は、本件懲戒解雇は不当労働行為に該当し、かつ原告の思想やサークル活動政治運動等民主的諸活動を理由とする差別的取扱であるから憲法上ないし労働法上の公序に反し無効である旨主張するので、まずこの点につき検討を加える。

成立に争いのない甲第八号証証人菅野靖男、北島斌、高星睦の各証言と原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和二六年から昭和二九年にかけて居住していた被告会社所属の東雲寮の副委員長となり、寮の自治活動その他コーラス、読書会、ハイキング、スポーツ等を通じサークル活動を行ない、昭和二九年秋頃茨城県常陸太田市町屋町の地域住民(青年)に呼びかけ数十名の参加のもとに青年会をおこしサークル活動を行ない、また昭和三一年暮頃、菅田宏司らが主宰していた『人生手帳』の読者の会である『緑の会』の日立支部に加入し、機関紙である『もえぐさ』の編集刊行を担当し、さらにその頃から「神峯コーラス」に参加してサークル活動を行ない、その後昭和三四年一月と同年七月に施行された組合評議員の選挙に立候補し、一月のときは六十数票を、七月のときは七十数票を得票したが次点に終つたこと、および前記諸活動の結果、被告会社に勤務する若干の臨時工が労働者としての権利意識、連帯意識を深めていつたことが肯認でき、以上の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。

他方、成立に争いのない乙第一号証同第九号証証人大滝忠夫の証言と原告本人尋問の結果を総合すると、原告に対する本件懲戒解雇の決定権限は被告会社の日立工場長にあるが、この決定について事実上決定的役割を果たした日立工場総務部勤労第一課の多賀課長以下の職制であり、原告の上長である同工場山手製造部制御器製作課長大滝忠夫の意見も影響を与えたものであることが肯認できる。そこで前記各職制が果して原告の思想内容または原告の行なつた前認定の諸活動の具体的内容を把握していたかどうか、把握していたとして、これを嫌悪敵視したことが決定的動機となつて本件懲戒解雇の決定をみるにいたつたものかどうか、がつぎに問題となるので、この点につき考えてみると、原告本人は、前記組合評議員の選挙に立候補した際、被告会社の職制(照沼組長、北見主任、佐藤組長)が勤務時間中職場を歩きながら「原告はアカだから投票するな。」などと言つて選挙に干渉した旨供述するが、この供述は、伝聞内容の供述であるばかりでなく内容が曖昧であつて到底措信できない。また証人菅野靖男、菅田宏司、瀬尾勇および原告本人は、「神峯コーラス」およびその前身の「つくしんぼうをうたう会」ならびに「緑の会」等における諸活動が被告会社の職制により探知され、あるいは干渉ないし妨害された旨、または被告会社の職制が原告を指して「アカ」と称していた旨を供述するが、これらの供述もまた、あるいは伝聞内容の供述であり、あるいは推測ないし意見を含む供述であつて、前記職制が原告の思想および前認定の諸活動の具体的内容を把握した上これを敵視したことが決定的要因となつて本件懲戒解雇が決定されるにいたつた事実を推認するに足りる証拠とはいいがたく、他に右の事実を肯認できる証拠は存在しない。のみならず被告会社が本件懲戒解雇を行うについては、後に説明するように正当な事由があつたのである。したがつて原告の冒頭掲記の主張は理由がないものといわなければならない。

三  つぎに原告は、本件懲戒解雇は就業規則に定める懲戒解雇基準条項の解釈適用を誤まり、かつ情状を酌量しなかつた点において違法を免れない旨主張するので、この点について考えてみる。

成立に争いのない甲第四号証乙第五号証同第九号証証人大滝忠夫の証言とこれにより成立を認める乙第四号証の一ないし三同第六号証の一、二証人山田岩吉、千葉敏雄、小林森の各証言、ならびに原告本人尋問の結果の一部と弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が肯認でき、原告本人尋問の結果のうち以上の認定に抵触する部分は信用できない。

(一)  被告会社は、昭和三四年春頃関西電力株式会社の大阪発電所と姫路発電所に電気集塵用タイムリレーを納入したが、同年一〇月同会社から調査点検の依頼を受けたので、技術員を派遣して点検した結果、モーターの動力を伝えるヘリカルギヤの摩耗が激しいためその噛み合わせが不完全であることが判明した。そこで被告会社の各担当課員が協議したところ、その不具合は材質の選択において問題があつたという結論に達し、ギヤをすべて合成樹脂製のスーパーギヤと交換することに決定し、その製作に要する期間等を考慮して交換修理は同年一二月五日から同月七日頃までの間に行なう見当をつけ、関西電力株式会社に打合わせたところ、了承する旨の回答を受けた。

そこで日立工場の制御器製作課器具係主任小林森は、前記修理のため作業員二名を出張させることとし、前記ギヤの製作を担当した第三組立組の千葉敏雄およびその補助作業員として第四組立組の原告を出張要員として人選し、昭和三四年一二月三日午前一〇時頃原告に対し、修理作業の概要を説明した上千葉とともに出張するよう告げ、その都合を尋ねたところ、原告はこれに応じ、所要の手続を経由して出張旅費の前渡を受けた。かくして原告は前記千葉らとともに出張準備を整え、同月四日午前六時四四分日立発の汽車で出発することに決めた。

ところが原告は、同月三日午後九時過頃千葉敏雄の自宅を訪れ、同人不在のため同人の妻に対し、千葉と一緒に出張する予定であつたが、東京の兄が交通事故に遭つたため、出張に行けなくなつたからよろしくたのむ旨述べて千葉に伝言するよう依頼した。同夜妻からの報告を受けた千葉は、翌四日朝五時頃家を出て佐藤組長宅を訪ね同人に対し原告からの伝言を報告した上、同組長の指示により工具等の荷物を携帯して乗車し大阪に向かつた。同日出勤した小林主任は、佐藤組長から以上の経緯につき報告を受けたが、前記修理日程のもとに作業が完成しないときは顧客である関西電力株式会社に迷惑をおよぼすことになりあとに問題を残すことを慮り、第三組立組からさらに手塚寿美、黒田義明の二名を割いて後発させることを決定し、両名は同日午後六時日立を発ち前記千葉を追つた。かくして以上三名の出張作業員は同月五、六の両日大阪発電所の修理作業を終え、千葉および黒田が同月七日姫路発電所の修理作業を完了した。

(二)  一方原告は、昭和三二年東京都千駄ケ谷の都立体育館で行われた日本のうたごえ全国大会に出席した際、たまたま識り合つた日本電気株式会社の労働組合員北島斌から、将来被告会社の従業員も右大会に多数参加するよう勧誘を受けていた関係もあつて、昭和三四年一二月六日夜前記場所で開催を予定されていた前記大会には被告会社の臨時員等とともに参加した上、全日本電機機器労働組合連合会(以下電機労連という。)の傘下組合員と臨時工の実態、活動等につき情報を交換し、相互理解のもとに連帯意識を深めることによつて、被告会社の臨時工の問題と具体的に取組む契機としようと考えていた。以上のような事情のもとに、原告は同年一二月三日帰宅後前記大会に参加を予定していた臨時工等を自宅に招き、前述のような日程のもとに出張に行くことになつた旨を伝えて話合つたが、結局原告が代表者の資格で臨時工とともに参加することを決定した。そして同月六日夜原告は臨時員数名とともに右の大会に出席し、その際電機労連傘下組合員等と臨時工の実態や職場のサークル活動の実情等につき情報を交換し、同日帰宅した。なお原告は同月四、五日の両日は欠勤した(この事実は当事者間に争いがない。)。

(三)  原告は同月七日出勤し、ただちに上長の山田組長に会い「兄が交通事故に遭い出張に行けなかつた。」旨報告し、さらに同月四日および五日の欠勤を年次有給休暇に振替えることを承認してほしい旨依頼した。ところが同組長は原告が述べるような事故のため出張に行かなかつた事例に接したことがなかつたため捺印してよいものかどうか判断がつきかねた。そこに小林主任が来たので、原告は右と同様の報告と依頼をした。その後小林主任は大滝課長に対し、原告が出張に行かなかつた次第を報告し、原告を大滝課長のもとに呼び寄せた。原告は、大滝課長から出張に行かなかつた理由について『兄が交通事故に遭つたということだが具体的事情はどうだつたのか。』と説明を求められたのに対し、当初は「家庭の事情だから言いたくない。」と述べてこれに応じなかつたが、やがて「兄が東京で大工をしているが、交通事故に遭つたから来いという電報と電話があつた。」旨説明し、さらにその電報の呈示を求められると、電報は紛失した旨答えた。そこで同課長は「紛失したのであれば仕方がない。勤労に依頼して調査してもらうより外はない。」と述べ、さらに「何かいうことはないか。」と尋ねたところ、原告は「課長がそのような態度を執るのであれば自分にも言い分がある。自分の昇給、第二加給、賞与に関する査定が低いのはどういうわけか。課長は自分をどのように評価しているのか。」と質したので、同課長はそのようなことは出張の問題とは関係がない旨述べたが、結局後刻調査の上説明することを約して別れた。その後間もなく原告は同課長に対し電話で、前記の電報で連絡を受けた事実を否定した。ついで大滝課長から連絡を受けた勤労第一課の達保安主任と根本組長は調査を開始することになり、まず同月八日原告に対し、出張に行かなかつた事情を尋ねたが原告がこれに応じなかつたので、大滝課長宛詫状を作成提出するよう求めたところ、その提出した書面にも、一身上の都合で出張に行けなくなつた旨表示するだけで具体的事情については何ら明らかにするところがなかつた。ついで同月九日前記職制による再度の事情聴取が行われた際、原告ははじめて日本のうたごえ全国大会に参加したことを明らかにしたものの、同月四日および翌五日における具体的動静については遂に明らかにしなかつた。 以上。

以上に認定した諸事実から明らかなように原告および千葉敏雄に対して命ぜられた本件出張修理は、被告会社の信用維持の上からいつて、予定の日程のもとに完成することを要する重要な業務であり、しかも同年一二月三日午前一〇時頃前記命令を受けた原告が、一旦これを承諾し、旅費の前渡を受けて出張準備を整え、出発時刻(常盤線列車の発車時刻)を翌日の早朝時に定めておいたのにかかわらず、同月三日の夜になつて出張に行かないことを表明したのである。それにもかかわらず前記出張期間内の同月四日から同月六日までの原告の動静についてみると、前認定のように同月六日は日本のうたごえ全国大会に参加し、その際に電機労連傘下組合員等と交歓ないし情報交換を行ない、また原告本人の供述によれば、同月四日および五日は、東京都においてかねて音信が絶えていた原告の兄の消息につき親戚の者に照会し、また友人と会合して前記日本のうたごえ全国大会の打合わせ等を行なつたというのである。しかしながら前記大会の開催が予定されていることや兄が音信を絶つていることは、原告が出張命令を受けた当時既に原告において知悉していたことは原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により明らかであるし、また客観的にみて、一従業員として前記出張を断わるのも已むを得ないものと考えられる程の緊急性も認められない。さらに原告は直属上長から、出張に参加しなかつた理由およびこの間における原告の動静等につき報告を求められた際、虚構の口実をもおけ、事を構えて反抗的態度に出るなど誠意ある報告を行わず、果して改悛の情があるのかどうかも疑わしいものといわなければならない。さようなわけで、原告と被告会社との間の信頼関係は最早維持しがたい状態に立ちいたつており、職場秩序の上にも少なからぬ影響を与えているものと思料される。したがつて原告に対し、就業規則第四八条第一項第六号後段を適用して行なつた本件懲戒解雇処分は、情状の点を考慮しても正当であると考えられる。

四  (一) 原告は、本件懲戒解雇は懲戒規定の適用を誤まつたものであるとし、その理由として、被告会社と原告の所属する労働組合との間に締結された労働協約に定める懲戒規定と日立工場就業規則に定める懲戒規定とは、その内容を異にするから、このような場合は高次の法規範である前者が優先し、後者は無効となるものと解すべきである旨主張する。しかしながら成立に争いのない乙第二号証と同じく乙第三号証とを比較検討してみると、労働協約に定める懲戒規定(第二一条から第二四条まで)は就業規則に定める懲戒規定(第四五条から第四八条まで)とは実質的に同じ内容の規定であるから、原告の前記主張はその前提を欠くばかりでなく、このような場合就業規則に定める懲戒規定が無効となるいわれはない。原告の前記主張はしよせん採用の限りでない。

(二) 原告は、被告会社の労働組合に対する本件懲戒解雇の通知は、時期の点において原告に対する発令通知と同時であるばかりでなく、内容の点において、単に解雇の理由として就業規則第四八条第一項第六号を表示するだけで具体的事実を摘示していないから労働協約第二二条第四項に違反し、したがつて本件懲戒解雇は無効たるを免れない旨主張するので考えてみると、本件懲戒解雇につき、かりに組合に対する通知と原告に対する通知が同時に行われたとすれば、労働協約第二二条第四項(乙第三号証参照)の規定に違反することになるが、右の程度の手続上の瑕疵が、本件懲戒解雇処分自体の効力に消長を来たす程重大なものとは解せられない。また本件懲戒解雇に関し労働組合に対して行なつた通知がかりに懲戒解雇基準条項を表示するにすぎないとしても、その当否の問題はしばらくおき、労働協約第二二条第四項に違反するものと解すべき根拠は見出しえない。

五  以上要するに本件懲戒解雇は有効であり、原告と被告会社間の雇傭契約は昭和三四年一二月一〇日終了したものというべきであるから、原告の本訴請求は理由がないので棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田夏生 石崎政男 佐野精孝)

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